二小教育の再構築に向けて
〜二階堂養護学校との交流学習の課題の整理と
本校の組織体としての課題を総括して〜
天理市立二階堂小学校
2004年11月26日
はじめに
本校は、新年度、PTAの方々や地域の方々の暖かいご支援・励ましの中で、新たな一歩を踏み出してきているところであります。日々学校は動いていますし、子ども達は登校して来ます。どのような出来事があろうとも、子ども達の教育の機会均等、豊かな学びを保障していくことは私たちの責務であります。
昨年度の事象は、本校と二階堂養護学校(以下「二養」)との交流学習の事前指導に係る一連の出来事に端を発し、関係の児童が登校できない状況となったもので、その問題解決には、様々な要因が重なり、長い期間を要することとなり、児童や保護者、多くの方々にご心配と多大のご負担をおかけすることとなりました。さらに、学校長の自死という大変悲しい事態まで招くこととなりました。今となって、昨年度の出来事を思い起こすことは、誰にとっても辛いことではありますが、学校としての課題を整理し、教訓化していかなければならないと考えます。
ことの発端は二養交流の事前指導にありました。この事前指導でいくつか指摘されている問題点の中で、確認できないところや意見の異なるところについては、触れることはできませんが、少なくとも交流学習を進める側の私たちとして、いくつかの共有化すべき課題があると考えています。このことから受け止められる交流学習の在り方に係る課題を整理し、本校「障害」児教育の再出発・再構築に向けて、以下まとめてみたいと思います。
また一方で、本事象が早期の解決を図れなかったことについて、本校の組織体の課題として整理し、このような事を繰り返さないために教訓化したいと思います。
本件経過の概要
昨年5月23日、二養との交流に向けての事前指導が行われ、動物のよだれを引き合いに出すなど配慮を欠いた発言があり、その指導のありようを巡って、保護者より指摘があった。そのことを契機に、学校、担任、保護者によって何度か話し合いがもたれたが、児童の登校にかかわり、大きな進展が得られないまま、問題が長期化した。
学校として、問題解決に向けた職員会議や種々の努力を行うが、有効な手だてとして実を結ばないままに2学期、3学期が経過した。その間、登校を促す働きかけを行うが、意見の対立を解くことができずに日が経過した。2月はじめに新聞で報じられることとなり、児童や保護者への説明と理解に努めたが、数日後、外出していた校長死亡の訃報を受けるに至った。
その後、担任は県立教育研究所において長期研修を受けることとなった。そして、新担任や学年チームでの家庭訪問等により、児童は3月11日から登校を始めた。
(1)二養交流学習の課題の整理
1.二養交流でめざしてきたもの
二養交流がはじまったのは、かつて庵治方面を通学路としていた二養の子ども達に対して、本校の子ども達が、差別的な態度をとっていたという事象からである。「知らない」ことが差別や偏見を生んできた。子ども達に二養の児童と意識的に出会わすことによって、それぞれの持つ意識を問い、共に生きる仲間として、違いを認め合っていこうというものであった。
その当時は、教師大勢で二養の運動会や文化祭に積極的に出向き、教師自身の交流や関わりを大切にしてきた。子ども達の交流のみに留まらず、教師同志の交流、PTA間の交流、学校間の交流へと発展していった。交流後の本校の子ども達は、自分達と同世代の子ども達が頑張っている姿と出会い、「○○君とコミュニケーションがとれてうれしかった。」「もう一度行きたい。」や、手紙を出して交流を続けようとする交わりも生れた。また、職員交流などで、「障害」児理解への実践や二養の実践から数多くの学びを得てきた。
このように、二養交流をとおして、両校の児童がいつも力一杯生きていることを確かめあい、生命の尊厳、共に生きることの大切さ・喜びを学んできた。
2.2003年度の二養交流から問われること
1)「事前学習」の課題
@そもそも事前学習とは
交流の目的は、二養の児童との出会いや、体験的な活動を共に経験することの中で、子ども達が本来持っている人と人との関わり合う力を発揮し、自然な形でのふれ合いや、共感関係を期待し、また時には、児童の内にある意識を見つめさせ、以後の「障害」児教育、また人権教育に結びつけていくところにある。
事前学習は、社会見学や他の体験学習を実施するときにおいても行うが、それは子ども達に、どんな事を学ぶのかを知らせたり、楽しいことや期待感を持って学習に臨み、学びを豊かなものにするために行うものである。“どんな出会いができるのだろう”、“どんな発見があるのだろう”と、子ども達がワクワクしながらその日を心待ちにすることを願い、教育効果を高めるために行うものである。
今回の事前指導によって、子ども達はそのような期待感を持ち、出会いを楽しみにすることができただろうか。プラスイメージを持ちながら二養交流に参加することができただろうか。そのための事前学習として十分準備され、計画されたものとなっていただろうか。
A事前学習における課題の整理
a) 今回問題となった事前学習において、「動物のよだれ」を引き合いに出されているが、人間のよだれが汚いものではないということを子ども達に分かりやすく、しっかり伝えたかったのだと思う。よだれというものは、体内の浄化作用を促すために出てくるもので、不潔なものでないことは科学的にも証明されている。しかし、動物の名を引き合いに出さなくてもその説明はできたのではないだろうか。この言葉は、指導者の思いをむしろかき消してしまう言葉ではなかっただろうか。
b) また、「手をつなぐ」ことに関わっての指導がなされている。今回の事前指導では、豊かな交流会にするための方向付けが、まず、獲得目標でなければならなかった。指導の流れから言えば、「みんな気持ちよく手をつなげたらいいな」とか「どうしたらよいかみんなで考えてみよう」ということになるであろう。言葉でいくらうまく接することができたとしても、いざ共に活動する場面になると引いてしまうことは、あり得るかもしれない。しかし、そこで子ども達は自分の意識を問い、葛藤しながら考える。
過去の苦い出会いを繰り返させたくないあまり、手をつなぐことを大切と伝える一方で、手をつなげないこともあるとの想定から、「無理につながなくていい」と伝えたようであるが、そのことによって、子どもの意欲や葛藤はふさがれてしまったのではないだろうか。どのような授業でも、私たちは子ども達に何を伝えたいのか明確な目標と指導の流れを持たなければならない。
c) 事後指導とも関連することであるが、ともすれば私たちの意識の中に、子ども達が二養の子と出会ったときに、差別的な態度をとらせたくないという思いが強く働くのではないかと考える。指導する立場にあるものが、そのように思うのはごく自然である。
けれども、私たちが乗り越えなくてはならない課題がここにある。子ども達が差別的な態度や、差別的な発言をしないような営みを日常的に教育現場や地域社会、家庭でも徹底的に行われていれば別であるが、残念ながらそうではない。しかも子ども達を取り巻く社会は、命や人権が軽んじられる出来事が絶えない。そんな中で、子ども達が差別的な発言をしたり誤った態度をとったりしたとしても、指導者はそのことを引き受け、そこから子ども達に深く考えさせ、差別を許さない、差別に抗う心情を育てるという視点を持つべきである。
この意味において、二養交流の実施に向けて、私たちと二養職員の間で、交流と事後の指導に対するどの様な見通しと共通理解を持つことができていたのか、そのための事前の打ち合わせがどのレベルで、どのような形で互いに忌憚のない意見交流が行われてきたのか見つめ直す必要がある。交流によって起こる様々なことがらを引き受けていくという互いの信頼関係が必要である。
二養交流において、私たちが子どもの成長を願って、厳しく課題と向き合わせる緊張感を持たなければならない部分と、子どもの力を信じて子どもの自発的な活動に任せるような、肩の力を抜いた方がいい部分があると考える。
d) この二養交流が、保護者にとって、どのような意味を持つものなのかについての共通理解を持つことが必要であった。学校としての「共生」教育についての在り方についての理解を図ることで、十分な見通しをもって、この交流会に臨むための素地づ
くりが必要であった。
同様の意味において、両校児童の保護者間同士の交流という点についても取り組みを深める必要がある。
3.二養交流推進組織の課題
1)二養交流が組織的、系統的な取り組みとしての
位置付けに弱さがあったこと
前段で整理したことから、この交流学習が本校全体の取り組みとして、職員がそれぞれの中にきちんと位置付けていなかったことがあげられる。長年の取り組みの中でいつしか学年や学級で取り組むものとなってきていたことは否めない。なぜ、そうなってきたのか、そして、そうならないためにはどうしたらいいのかについて、交流の推進体制、また、交流学習の本校「障害」児教育における位置づけについて再点検していく必要がある。
また、二養交流が単発の取り組みではなく、全体の「障害」児教育のカリキュラムの中に脈絡をもって位置づけられていたかどうか、二養交流が生きた教材としてどう位置づいてきたかである。交流する学年としない学年の関係が発展的につながっていく取り組みがなされるべきである。二養交流を見据えた「障害」児教育の位置づけを、系統性を持って考えていかなければならない。
2)事後総括が十分になされてこなかったこと
また、その時々の交流学習後に行われるべき総括で、交流とその一連に係る取り組みで得た成果や課題が、職員全体の場に出され、どう整理すればいいのかについて、より多くの職員の意見のもと、そのことをどう受け止め、また見通しとしてどうつないでいくかの論議が形骸化していた。その「整理」が十分であれば、事前学習はもちろん、交流学習、事後学習の組み立て方に豊かな内容が生れてきたのではないかと思われる。そのことによって「共生」の社会へ向けて進むべき課題や成果として、教材化されてきたのではないだろうか。
こうした営みが地道に継続されることにより、結果として二養交流の意義なり目的が再認識され、学校として、指導者個々としての取り組みや認識となり、その都度新鮮な取り組みや新たな意欲となるべきであった。その全体化の営みが乏しくなっていた。
(2)本校組織体としての課題について
1.職員間の情報の共有化と信頼関係について
昨年度の事象をとおして、「職員組織が一体化せず、・・・」との教育委員会からのコメントがあった。また、いろいろな方面から、職員集団のあり方がどうだったのか、疑問が寄せられた。
私たちは人権教育を柱とした長年の取り組みの中で多くのことを学び、実践を積み上げてきた。目の前にいる子どもとの関わりを何よりも大切にし、子どもの気持ちに寄り添いながら取り組みを進めてきた。しかし、今回の事象では、それぞれが心を痛め苦しんできたにもかかわらず、それぞれの思いや痛みをだれと話してきただろうか。今回の件にとどまらず、日々私たちが子どもや保護者との関わりの中で見えてきた課題や成果をどれだけ人に伝え、共有してきただろうか。個人の責任や力量で行わなければならないことと、学年、学校として情報や思いを共有化し、取り組まなければならないことが整理できていなかったのではないだろうか。
また、職員の中で共有化するためには、前提として、お互いの信頼関係がなければならないと考える。人の痛みや苦しみ、隣の学級や学年の悩みを同じ職場の仲間として、我が身に引き寄せて考えようとする姿勢をどれだけ持ち得ただろうか。時として私たちは、自分の“守備範囲”外での出来事については、深く関わりたくないという意識が働くことがある。子ども達が何かことを起こしたとき、ハッとすると同時に、自分のクラスや学年でないとホッとしてしまう瞬間がなかっただろうか。学級王国とやゆされるこのような意識を克服することから職員間の信頼関係づくりを始めたい。
日頃子ども達に言っている、「なかまを大切にすること」「人を信頼する努力」をそれぞれが自分のこととして取り組まなければならない。それぞれの生き方や価値観が違う中で、人と人との信頼関係を築くのは難しい。しかし、私たちは“子ども”という共通項でつながり、同じ職場で働いているのである。学習の場面などでは、個々それぞれの思いや判断で動くこともある一方で、組織として議論し、一定の方向のもとに子どもや保護者と向き合わなければならないことについては、個々それぞれの思いや判断で動くことは組織としての機能を鈍らせていくものである。
子どもに豊かな未来を保障するというならば、そのことを疎外するような要因については、本気で論議し指摘し合える関係でありたい。
2.職員組織が機能することについて
本校の学校運営は、各部、係に分かれて運営されている。そして、個々の分掌内容が明確化され、その責任分担により運営されている。しかし、担当者が係や部の中で相談や論議を深め、見通しを持って推進することができていただろうか。つまり、組織化されている部や係として生きて機能することに課題があったと考える。組織がこういった傾向を持った場合、問題や課題が起こったとき、組織的に考え、対応することがうまくいかないことが多い。今回の事象もこうした組織上の問題点との関連性の中で考えてみる必要がある。
各学年、学年部においても同様であり、ベースとなる学級担任による充実した学級運営を行うためにも、学年のまとめ役が十分に機能し、横のつながりや縦のつながりによる連絡・協力体制、及び取り組み内容などについての互いのチェック体制作りを進めることで、組織として十分機能することを考えなければならない。
また、組織体として、人間関係の問題がよく指摘されるが、発言力のあるなしだけで方向性が決まったり、また、少数意見が閉ざされる傾向を持つ関係の中では、互いが高まり合うということはできにくい。それぞれを尊重し合うということを組織作りの原点として、私たちの職員集団を見つめ直さなければならない。
しかし一方で、組織として機能することを問題とする場合、リーダーの指示によって動くことも大切となる場面がある。各部や係が十分に機能することが前提となるが、必要に応じて、リーダーの判断を他に優先させる必要がある。このことは、組織体として大切なことだが、今回の事象の中でうまく機能していなかったのではないか。
(3)課題の教訓化と今後のあり方について
1.二養交流の課題の整理から
@事前学習をより効果的なものとするために
交流会の総括から得られた成果と課題を土台として、また、二養職員との入念な事前打ち合わせによって、何を取り上げ、どのように伝えることにより、出会いへの期待感を膨らませ、プラスイメージをもって二養と、また二養児童と出会わせることができるか、指導の留意点などを十分整理・吟味すること。
A指導者が交流によって起こる様々な事柄を引き受けていくという共通認識をもつために
事後指導を含めた、交流事業の「障害」児教育における位置づけを再確認すること。また、交流によって起こる様々な課題やまた成果を担当指導者個人のものとせず、学校全体のものとするために、マイナス点も含めて全体議論の場に乗せる必要があること。
B交流会を自信をもって取り組める学習とするために
事前に行われる二養職員との交流の中で、交流の中で起こるであろう様々な出会いの姿について、意見交流をし、見通しを持つこと。
また、保護者にとって交流会がどういう意味を持つのか、そうした交流の中で保護者への思いや願いについての深い理解を持つ必要があること。
Cマンネリ化や形骸化を防ぐために
交流推進を組織体で行うことの確認が必要である。なぜ交流会をやるのか、職員全員での共通理解を図りつつ取り組みをはじめることはもちろんのことだが、交流後の総括の中で、交流で感じたことや子ども達の声や様子を出し合うこと。そして、今後に向けての成果と課題を明らかにするとともに、交流を実施した学級・学年だけでなく他の学級・学年にある「障害」児教育の課題に結びつけ、営みを継続すること。
2.組織体の課題の整理から
@組織体の課題をみんなのものとするために
隣の学級や学年の悩みや思いを我が身に引き寄せて考え合うことから、職員間の基本的な信頼関係を築き、その上に立って、組織が直面する課題や解決の方向性について共有化すること。
A問題や課題の解決に組織的に考え対応するために
学年・学年部、部・係のまとめ役が十分に機能し、横のつながりや縦のつながりによる連絡・協力体制をつくること。
(4)まとめとして
昨年度の事象は、人権教育を柱に据えた取り組みを継続的かつ着実に積み重ねてきた本校にとって、あまりにも衝撃的といえる不幸で悲しい出来事でした。児童、保護者、また地域や関係の方々に与えた不信感は大きく、その払拭に向けて多くの力をお借りしながら、職員の力を結集して、今改めて「障害」児教育の再構築と生きて働く職員組織の活性化を目指さなければならないという思いで一杯です。
とりわけ、二養交流については、その取り組みをとおして、そこに係るすべての大人子どもが共に生きることの意味を感じ、確かめ合い、「共生」の社会を築いていく意欲とともに、共に生きていく上での感性や態度を磨き合うことが大切と考えています。
そして、学校が豊かな人権教育を生み出すことはもとより、職員相互の信頼関係を基盤として、子ども一人ひとりが大切にされる教育を進めたいと考えます。こうした営みが自死された前校長に報いることでもあると思われます。
以上のことから、子どもも保護者も信頼を寄せられる学校に向けて、次への一歩を切り拓きたいと考えるものです。
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